
バフェットの子ども時代は、どんな感じだったのだろうか?
この記事では、ウォーレン・バフェットの投資術を解説した本、『バフェットの法則』を紹介します。
内容としては、「第1章 世界最高の投資家はどのように生まれたか」を要約した記事となります。
結論は、「投資の神様」も、決して成功の連続の人生ではなかったということです。

この記事で分かること
- ウォーレン・バフェットの子ども時代の話
- 投資家として成功するまでの歩み
この記事の信頼性
- 「バフェットの法則」という本を丁寧に要約
- 筆者 ロバート・G・ハグストロームさんは、長年のバフェット研究家
- ロバートさん自身、バフェット投資術を使ったファンドを運用
筆者の言葉を、大切に丁寧な要約を心がけました。
この記事を書いた人

- 株式投資歴10年。バフェット本読書歴9年。
- 大損してバフェット投資術に出会う
- バフェット投資術実践中
この記事を読むメリット
- バフェットの人生を知ることで、投資のヒントが得られる
Contents
第1章 世界最高の投資家はどのように生まれたか

以下、要約していきます。
お時間のない方のために、ポイントを読んでいただければ分かるようにしてみました。
1. バフェットが誕生してから投資を始めるまで
ポイント
- 1930年8月30日生まれ
- 11歳で初めて株式投資をするも、失敗
- グレアムのバリュー投資と出会う
子供時代

ウォーレン・バフェットは1930年8月30日 ネブラスカ州オマハにて生まれた。
幼稚園に入る前から、計算が得意だったという記録が残っています。
お金に興味があり、子供のころから様々なビジネスを行いました。
ガムやソーダ、コーラを仕入れて売り、儲かったお金をコツコツ貯金することが大好きな少年でした。
バフェットが人生初めて「株式投資」をしたのは、11さいのとき。
シティーズ・サービス社の株を買いましたが、投資は失敗。
株価は、買った当初は大きく下がる。
しばらくすると反転し株価は、買値まで戻る。
その際に、バフェット少年は、慌てて株を売ってしまう。
その後、株価は大きく値上がりました。
バフェットの初めての株式投資は、「儲け損なう」苦い経験となりました。
その後の少年時代を、「ビジネスを行うこと」と「お金を貯めること」に費やします。
転機
20歳の青年バフェットに転機が訪れます。
それは、一冊の投資本との出会いでした。
「証券分析」 筆者は「ベンジャミン・グレアム」
グレアムは、「バリュー理論」を本の中で紹介した。
- 企業の本質的価値を理解する重要性を強調
- 企業の本質的価値より安い値段で株を買えば、利益が得られる
数字が好きなバフェットは、大いに共感。
そして、グレアムが教鞭をとっていたコロンビア大学院の入学を決める。
憧れのグレアムのもとで、バリュー理論を学んだ。

グレアムの教室で、バフェットの成績はAプラスというトップ。
これは、グレアムが22年間、どの生徒にも与えたことない素晴らしい成績でした。
卒業後、グレアムの会社で働くことを強く希望するもかなわなかったバフェット。
しかし数年後、バフェットの強い希望を聞く形で、グレアムの会社に1954年入社。
2年後、1956年グレアムの引退に伴い退社。地元オマハに戻りました。
2. バフェット・パートナーシップの誕生

ポイント
- 1956年 25歳の時に「バフェット・パートナーシップ」をつくる
- 高いリターンを生むも、1969年に解散する
- 経営権を取得していた「バークシャー・ハサウェイ」の経営に本腰を入れる
再スタート
1956年、25歳のバフェットは、地元オマハにてパートナーシップを作りました。
当初は7人が参加。
お金をバフェットに預けて、株式投資での運用を任せました。
運用方針は、以下のとおりです。
- 目標は、ダウジョーンズ工業株価平均を10%上回る運用をすること
- 人気ではなく、企業価値にもとづいて銘柄を選択すること
- 短期ではなく、長期的視点で運用すること
開始してから、「バフェット・パートナーシップ」は驚くべき高い数字を叩き出しました。
バフェットの評判を聞きつけ、多くの資金が集まり始めます。
「多くの資金」「高いリターン」と軌道に乗ったパートナーシップですが、バフェットは悩みます。
初期のバフェットの投資がよくわかる本。
特に資金がないとき、バフェットはどんなことを考えていたかよくわかる良書。
パートナーシップ解散
そしてついに、1969年、バフェットはパートナーシップを解散をしました。
なぜ解散したのか?その理由は、
- 株価が全体的に高い
- バリュー理論から見たとき、買うことのできる安い銘柄がなくなってきた
- 「成長株」が幅を利かせる時代になり、バフェットのバリュー投資が合わなくなった
当初、目標にしていたダウジョーンズ工業株価平均10%上回ることは、1957年開始から1969年の最後まで達成した。
しかも、10%どころか32%という素晴らしい数字を残しての解散となった。
解散後、バフェットは経営権を取得した「バークシャー・ハサウェイ」の経営に専念することになる。
3. 新しい投資会社バークシャー・ハサウェイ

ポイント
- バークシャーの繊維事業は失敗
- 保険会社の買収を進める
- バークシャーを、繊維業から保険ビジネスに転換する
「バークシャー・ハサウェイ」は、紡績会社。
バフェットが経営権を取得したころには、すでに業績は低迷。
繊維事業立て直しのため、バフェットは20年にわたり奮闘する。
しかし、1980年代になると、バフェットも現実を直視せざるを得なくなる。
なかなか立ち直らない繊維事業に、巨額の設備投資が必要になったからである。
1985年、ついにバフェットは、バークシャーの繊維事業の閉鎖を決めた。
一方で、バフェットは保険会社の買収を進めていた。
1967年に保険会社を買収を皮切りに次々に保険会社を買い進めた。
繊維業の立て直しは失敗に終わったが、保険事業は成功する。
バフェットが保険会社に目を付けた理由は以下の通り。
- 保険契約者が払う保険料という現金が、保険会社に流れ込んでくる
- 保険金請求があるので、お金をある程度運用して増やしておく必要がある
- お金を増やすのに株式投資が有効であること
たえず現金が流れ込んでくる保険ビジネスは、バフェットにとって格好の投資環境を備えていたのである。
4. バフェットとバークシャー・ハサウェイの特徴

バフェット
- 気さくなおじいさん
- 天才的な頭脳を持つが、誠実
- 論理的なものを好む
バークシャー・ハサウェイ(2012年当時)
- 事業内容は多岐にわたる
- 事業を行う部門、利益を原資とする株式投資部門の大きく2つ
- 資産の増加は、1965年1株当たり19ドル→2012年1株当たり11万4214ドルと大きく上がった
5. 並外れた結果を出すために、並外れたことをする必要はない

長年にわたって、インデックスを継続的に上回るバフェットの成績は異例である。
長期間にわたってインデックスを上回ることは、極めて難しい。
バフェットによれば、
私は投資と経営は同じだと考えている。
結果が並外れていても、やっていることは並外れたことはしていない。
まとめ

この記事では、投資の神様 ウォーレン・バフェットの半生に触れてきました。
バフェットの半生を知ることで、投資家にとって、重要な教訓が得られます。
たとえば、
- 子どものころから、ビジネスに精通していたこと
- 株式投資は、失敗からスタートしたこと
- 投資キャリアのスタートは、パートナーシップだったこと
「初めての株式投資は、失敗」「バークシャー繊維部門は、失敗」。
「投資の神様」でありながら、バフェットは、失敗から学び続けています。
より詳しくバフェットの人生をお知りになりたい方は、バフェット公式伝記「スノー・ボール」がおススメ。
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